4:6 多くの者は言っています。
「だれがわれわれに良い目を見させてくれるのか」と。
【主】よどうかあなたの御顔の光を私たちの上に照らしてください。
4:7 あなたは喜びを私の心に下さいます。
それは彼らに穀物と新しいぶどう酒が豊かにある時にもまさっています。
「多くの者」を敵として言っているのなら、「だれがわれわれに良い目を見させてくれるのか」という言葉は、「お前たちは良い目を見ることができない』と罵ったり、諦めさせる言葉となる。それを聞いた人たちは、その言葉に惑わされず、主を求める祈りに変えられている。
逆に、「多くの者」を味方として言っているのなら、反語表現であり、「だれが~くれるのか」という言葉の答えは「いや、主こそ成してくださる」と強調され、強い信仰告白となるのである。
主から与えられる喜びは、順調なときだけでなく、むしろ苦境のときに与えられる。ダビデはそれをよく知っていたし、今もその喜びの中でこの詩を詠っている。それは、穀物と新しいぶどう酒(美味しいもの、時には安定した生活)よりも、遥かにまさっている恵みである。
<祈り>
主こそが私たちに良い目を見させてくださる方、恵み深い方だと信じ、告白し、祈ります。
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